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自他不二と知魚楽

仏教(禅)に、「自他不二」という言葉があります。
 自分と他人は「不二」(二ならず、別々ではない)、あなたと私はひとつですよ、という教えです。
 すなわち、相手が喜んでいるときは自分のことのように喜び、相手が悲しんでいるときは自分のこととして悲しみを共にする。自分と相手との間に垣根を作らない、全部「私のこと」として受け止めていく、そんな仏さまの心のあり方のことです。
 もし相手が物の場合でも同じです。もし不注意でお鍋をガチャン!とぶつけたら思わず自分が「痛い!」と叫んでしまうような…。

 おばあさんは、自分が持ち主でもないのに、持ち主ならきっとそうしたであろう「ありがとう」の言葉を、とっさにかけずにはいられなかったのですね。
 こうありたいと願ってはいても、なかなかそうはなれないものですが、私はこのおばあさんの「ありがとう」のあたたかなひと言に、自他不二の仏さまの姿を見た思いがしたのでした。


知魚楽 in 2010 荘子「秋水」の最後に次の一節があります。

「ある時、荘子(紀元前四世紀頃)と恵子(けいし)が川のほとりを散歩していました。

恵子はものしりで議論の好きな人でした。

荘子;魚が水面に出てゆうゆうと泳いでいる。あれが魚の楽しみだ。

恵子;君は魚じゃない。魚の楽しみがわかるはずがないじゃないか。

荘子;君は僕じゃない。僕に魚の楽しみがわからないということがどうしてわかるのか。

恵子;僕は君でない。だからもちろん君のことはわからない。君は魚ではない。
だから、君には魚の楽しみがわからない。僕の論法は完全無欠だろう。

荘子;ひとつ議論の根元にたちもどってみよう。君が僕に、君にどうして魚の楽しみがわかるか、
と聞いた時にはすでに君は僕に魚の楽しみがわかるかどうかを知った上で聞いたのではないか。
僕は濠水のほとりで魚の楽しみがわかったのだ。」


[白文]
1.季子将伐セン臾、冉有季路見於孔子曰、季氏將有事於セン臾、孔子曰、求、無乃爾是過与、夫セン臾、昔者先王以為東蒙主、且在邦域之中矣、是社稷之臣也、何以為伐也、冉有曰、夫子欲之、吾二臣者、皆不欲也、孔子曰、求、周任有言、曰、陳力就列、不能者止、危而不持、顛而不扶、則将焉用彼相矣、且爾言過矣、児虎出於甲、亀玉毀於読(正しい漢字は「きへん」)中、是誰之過与、冉有曰、今セン臾固而近於費、今不取、後世必為子孫憂、孔子曰、求、君子疾夫舎曰欲之而必更為之辞、丘也聞、有国有家者、不患寡而患不均、不患貧而患不安、蓋均無貧、和無寡、安無傾、夫如是、故遠人不服、則修文徳以来之、既来之則安之、今由与求也、相夫子、遠人不服、而不能来也、邦文崩離析而不能守也、而謀動干戈於邦内、吾恐季孫之憂、不在於セン臾、而在蕭牆之内也、

[書き下し文]
季氏、将にセン臾(せんゆ)を伐たんとす。冉有(ぜんゆう)、季路(きろ)、孔子に見(まみ)えて曰く、季氏、将にセン臾に事あらんとす。孔子曰く、求よ、乃ち爾(なんじ)是れ過てること無からんや。夫れセン臾は、昔者(むかし)先王以て東蒙(とうもう)の主と為し、且つ邦域の中(うち)に在り。是れ社稷(しゃしょく)の臣なり。何を以てか伐つことを為さんや。冉有曰く、夫子これを欲す。吾二臣は皆欲せざるなり。孔子曰く、求よ、周任(しゅうにん)に言あり曰く、力を陳べて(のべて)列に就き、能わざれば止む(やむ)と。危うくして持せず、顛(くつがえ)って扶け(たすけ)ずんば、則ち将た(はた)焉んぞ(いずくんぞ)彼(か)の相(しょう)を用いん。且つ爾(なんじ)の言は過てり。虎・児(こじ)、甲より出で、亀玉(きぎょく)、トク中に毀たれば(こぼたれば)、是れ誰の過ちぞや。冉有曰く、今夫のセン臾は固くして費(ひ)に近し。今取らずんば、後世必ず子孫の憂いと為らん。孔子曰く、求よ、君子は夫(か)のこれを欲すと曰うを舎(お)いて必ずこれが辞を為すことを疾む(にくむ)。丘(きゅう)は聞けり、国を有ち(たもち)家を有つ者は寡なき(すくなき)を患えず(うれえず)して均し(ひとし)からざるを患え、貧しきを患えずして安からざるを患うと。蓋し(けだし)均しきときは貧しきこと無く、和すれば寡なきこと無く、安んずれば傾くこと無し。夫れ是くの如し、故に遠人(えんじん)服せざるときは則ち文徳を修めて以てこれを来たし、既にこれを来たすときは則ちこれを安んず。今、由と求とは夫子を相(たす)けて、遠人服せざれども来たすこと能わず、邦(くに)分崩離析(ぶんぽうりせき)すれども守ること能わず、而して、干戈(かんか)を邦内に動かさんことを謀る(はかる)。吾恐る、季孫(きそん)の憂いはセン臾に在らずして蕭牆(しょうしょう)の内に在らんことを。
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日本は震災で「二流国家」となってしまうのか?

日本は震災で「二流国家」となってしまうのか? (人民網日本語版 2011年4月15日)

 日本経済は地震、津波、放射性物質の漏えいという一連の災害により大打撃を受けた。国際経済界は日本経済の未来についてどのようにとらえているのだろう? 北京大学・朗潤園で13日、「朗潤・捜狐(SOHU)経済学者フォーラム」が行われた。フォーラムのテーマは「日本経済:困難を乗り越えて再起するか、それとも長期的な不況に陥るのか?」。
 清華大学の袁鋼明教授は、日本経済の行く末に悲観的な見方を示し、「1990年代のバブル崩壊は日本経済のターニングポイントとなり、日本経済はこれ以降『失われた20年』に突入した。そしてこのたび発生した大地震は再び日本に大打撃を与えた。日本経済はこれで再起不能となり、長期的な不況に陥り、日本は二流国家となるだろう。日本の政治経済制度の遅れは深刻であり、日本の経済成長を阻んでいる」と述べた。

 一方、私は袁鋼明教授の観点は悲観的過ぎると考える。確かに、日本経済は短期的には深刻な打撃を受け、復興も厳しい道のりとなるだろう。しかし、これはもしかしたら、日本の変革に向けたターニングポイントかもしれない。注目すべき問題には、以下の4点が挙げられる。

(1)日本経済の復興に存在する多くの困難

 日本はまだ復興予算を公表していないが、現在の日本の財政状況から見ると、日本政府が財政支援策を発動するのは難しい。なぜなら、日本の国民と企業には日本国債を大量購入し続ける力が無く、日本銀行も「国債現金化」政策を大々的に行う力がないからだ。このため、日本円の信用危機がもたらされる可能性がある。

(2)国際的な分業体制が大きく変化する可能性

 分業体制の変化は、日本企業と世界の産業界が日本の安全性に疑問を抱くために起こる。これにより、2つの結果がもたらされる可能性がある。1つは、海外企業が中間製品の調達先を日本本土に集中せず、各地に分散させることだ。しかし、日本の製品は短期的には代替が利かないため、このプロセスには時間がかかると見られる。もう1つは、日本企業がコア部門を海外に移転し、長期的に続いてきた「雁行(がんこう)型」発展モデルを放棄することだ。コア技術と工場がアジア又はその他の地域に移転することで、日本経済の空洞化は免れないが、生存を維持するという角度から見ると、この可能性も否定できない。

(3)日本政府の外交と国際的な経済戦略が変化する可能性

 震災後、日本が周辺国家との関係を改善できるかどうかにはまだ未知数だ。しかし日本にとって、災害が発生する確率は戦争の可能性よりも高い。このため、日本政府は日本経済及び国民が生存する空間を得るために、外交政策を見直し、アジア諸国との良好な関係を保ち、地域経済一体化を能動的に推進していく可能性がある。

(4)長期的に停滞していた日本の社会改革が新たな動力源を得る可能性

 災害が去った後、日本は政治制度・経済体制を見直し、改革を推進するだろう。災害の苦しみに直面し、日本社会では利益をめぐる意見の相違が減ると思われる。これは改革に向けた共通認識の形成にプラスとなる。このほか、東電の不手際やトヨタリコール事件などは、日本企業がすでに従来の伝統的な日本企業ではなくなったことを示している。株主利益の最大化が日本企業文化の中心となりつつある。これは、企業の社会的責任感の低下を表す一方で、日本企業が拡大と利益に向けた強い欲望を持っていることも意味する。これは日本企業の生命力のありかだと言える。

 日本は今後、発展の谷間に突入するかもしれないが、二流国家とはならないだろう。東アジア経済の主導的な地位は中国に明け渡すかもしれない。しかし、中国がもし国際的分業分野で日本と同じ地位を獲得しようとすれば、それはそれで多くの困難がある。なぜなら、中国は技術革新と知的所有権保護面がまだまだ不十分であり、民間投資が抑制されているからだ。これは中国企業の国際的競争力を制約する要素となる。(作者・中華工商時報副編集長、財政経済評論家・劉杉、編集SN)

 「人民網日本語版」2011年4月15日
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散砂 (さんさ)

天児慧(早稲田大学大学院教授)
 1947年生まれ、政治学者。社会学博士。
 専門は中国政治、現代中国論。

天児先生が、孫文は 「中華民族は散砂 (さんさ) である」 といっていた。
散らかった砂であって、まとまりがない。 民族ってものがない。 だから民族というものをもっと盛りたてなければならない、と孫文はいってる。

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浅田次郎「中国論」(第11回)

浅田次郎「中国論」(第11回)
G26月 8日(火) 16時46分配信 / 海外 - 中国

G2 Vol.3誌面より
取材・構成=木村俊介

■漢字の不思議な力

浅田氏は、中学二年生のとき、国語の先生が漢詩を読み下し文で読んだ瞬間に「なんだ、この美しい言葉は!」と思ったという。外国語なのに、言語に返り点をつけて日本の構文に直して読み下したら、非常に美しい文章になり、そのうえ、言わんとしている内容まできちんと伝わってくる。そうした言葉の変換の不思議さにどんどん惹かれていったという。

「そもそも、英語の詩を日本語に翻訳しても、こうは完全な対応関係にはならないわけです。ところが、漢詩と日本語の読み下し文のあいだにおいては、発音のちがいがあるだけで、内容の変化やましてや誤訳は発生しません。まぁ、稀に格好良く読み過ぎてしまう先生もいらっしゃいますが、その格好良く読み過ぎた文も味があってすばらしい」

「漢詩においては現代に沿った新訳のほうがいいのかといったら、そうとも限りません。むしろ、漢籍の教養がにじみ出ている昔の老大家の読み下しにこそ愛着を覚えてしまいます。
漢字という媒体を通せば、中国人と日本人というちがう言葉を話している国民同士が、まったく心を一にすることができて、美的情緒の面までも心を一にすることができる。その不思議さに、私は心を揺り動かされたのです」

中国文学を読みこんで中国を理解してきた浅田氏。その理解の過程には「漢詩を書き写す」こともあった。

「中国の文学、ことに漢詩の場合は自分で書き写すと内容がよく伝わってきます。漢字には、一文字一文字書いてはじめてわかる不思議な力があるのです。ですから、いまでも漢詩の書き写しは趣味ですね。私はかつては日本語の文章もよく書き写していました。それは別に勉強のためではありません。良い文章を深く味わうためには、自分で書き写してみることが一番だからです」

「漢字に対する私の考え方は、白川静先生から大きな影響を受けました。漢字文化の研究において、あらゆる学派に属さずに『白川学』を作りあげた底力には感心させられます。たしかに白川先生の説には、解釈の域を超えて詭弁を感ずることもあります。しかし、それはそれとしても、私は漢字が持つ一字一字の重さを白川先生から教わりました」

「小説を書いているとき、文章の流れのなかで必ず使うべき漢字を見つけることがあります。たとえ読者が知らない難しい漢字でも、文章の流れのなかでピッタリはまる漢字がある。これは、漢字のルーツが象形文字であるということの証拠だろうと思っています」

(第12回につづく)
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浅田次郎「中国論」(第10回)

浅田次郎「中国論」(第10回)
G26月 3日(木) 11時14分配信 / 海外 - 中国

G2 Vol.3誌面より
取材・構成=木村俊介

■張作霖研究家との出会い

張作霖の長男・張学良については『中原の虹』執筆過程における秘話もある。

「張学良は二〇〇一年まで生きていて、生前NHKの番組でインタビューも受けています。その張学良の番組を通じて不思議な縁がありました。以前、NHKの番組に出演したことがきっかけで、張学良のインタビュー番組を作ったディレクターとその奥様にお目にかかったのです。話をしてみたら、ディレクターの奥様は富山大学で張作霖を研究している澁谷由里先生だというではありませんか。これは天の助けと思って、当時執筆中の『中原の虹』の校閲を澁谷先生にお願いしました」

「その助けがなければ小説のなかで実現できなかったことはたくさんありました。たとえば、満洲語の表現について、その富山大学の先生の恩師である京都大学の先生の助言をいただきました。その方はもう相当のご高齢なのだけれども満洲語を専門にされている方で、もしかしたら日本で最後の満洲語研究家かもしれません。その先生に満洲語の表現や発音を教えていただきました。そうした助けもあって『中原の虹』は完成したのです」

『中原の虹』を発表したあと、実際に昔の満洲を知っている人からの手紙がたくさん届いたという。たとえば、「私は現在九〇歳で、もとは満鉄の社員でした。張作霖の『打聴、満洲風』という言葉にしびれました」といった感想がとてもうれしかったという。

「つまり、実際の満洲を知る人たちにとってもリアルな満洲の風や大地の一端を描けていたのだと思う。当時の満洲に渡った人たちは、何かしらの青雲の志を持っていた方が多い。そういう気持ちを持っていた人たちの心に『打聴、満洲風』という言葉が響いたのだとすれば、こんなにうれしいことはありません」

(第11回につづく)
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