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【萬物相】韓国の漢字教育

記事入力 : 2009/01/12 11:41:05 朝鮮日報日本語版

【萬物相】韓国の漢字教育

ハングル
 「“南北統一(南北が漢字、統一がハングル表記)”のハングルで書かれている“部分(漢字表記)”を“漢字(漢字表記)”に直しなさい」という、漢字とハングルを混ぜ書きした問題で、正しく答えられなかった学生が半数を超えた。「部分」や「漢字」という漢字を読めなかったため、問題の意味すら分からなかったというわけだ。「背水の陣(韓国語読みでは“ペスジン”)」を「プスチャ」、「幼稚(韓国語読みでは“ユチ”)」を「チョルチ」と読んだり、「文化」を「文花」、「学科」を「学校」と書いた解答もあった。これは数年前、ソウル大が「教養国語」を受講する学生1280人を対象に行った、基礎的な漢字の実力テストの結果だ。

 国語の実力は語彙力が基本だ。ハングル学会の『大辞典』に収録された16万4125語の語彙のうち、漢字語は8万5527語で、52.1%を占める。また、小学校の国語の教科書の55%、医学や哲学などの専門用語の95%が漢字語だ。漢字を知らなければ、語彙力や学習能力を高めることはできない。ハングル表記は同じでも、漢字でどう書くかによって意味がまったく異なる単語も無数にある。例えば、韓国語で「サギ」と読む漢字語の単語は「士気」をはじめ22語、同じく「チョンギ」と読む漢字語は「電気」をはじめ18語もある。

 1970年以降、小・中・高校の教科書から漢字が消えた。75年には中学・高校の教科書に再び登場したが、漢字とハングルを混ぜ書きするのではなく、カッコ内に漢字を入れる「漢字併用」だった。現在では小学校で漢文を教えることはなく、中学・高校でもドイツ語やフランス語と同等の選択科目にすぎない。大学修学能力試験(日本の大学入試センター試験に相当)で漢文を選択する受験生も17%にとどまっている。一方、北朝鮮では韓国の小学5年生に相当する高等中学校1年から大学まで3000字もの漢字を学生に学ばせている。

 このほど全国漢字教育推進総連合会が、小学校から漢字教育を行うよう求める建議書を大統領府に提出した際、首相経験者20人が署名したという。病床にある91歳の劉彰順(ユ・チャンスン)元首相を除き、11代・31代首相の金鍾泌(キム・ジョンピル)氏から38代首相の韓悳洙(ハン・ドクス)氏に至るまで、健在の首相経験者がほぼ全員署名したことになる。これは漢字教育推進連合会のチン・テハ理事長が、1年以上にわたって首相経験者一人一人に会って説得した成果だという。盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権下で首相を務めたイ・ヘチャン氏、韓明淑(ハン・ミョンスク)氏、韓悳洙氏も賛同したことは、チン理事長も「ちょっと意外だった」という。理念や政治的な立場とは関係なく、漢字教育が深刻な問題に直面していることを誰もが認めたというわけだ。

 漢字を習得する過程において、ただ暗記するだけでは効果は小さい。例えば、「竜髭鉄(ばね)」が「竜の髭のような形の鉄材」であることを教えれば、子どもでも興味深く学ぶことができる。漢字が分かれば、長い文章を短くまとめる能力や、新たな言葉を作る能力も向上し、語彙が増えることになる。漢字教育は外国語の学習ではなく、国語力を正常なものにするために必要な前提条件となる。

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神なるオオカミ

【神なるオオカミ】  (上・下巻)
著者:姜 戎 (ジャン ロン)、 訳者:唐 亜明 (タン ヤミン)、訳者:関野 喜久子

[下巻 146ページ]

 「オオカミの遠吠えを聞いて、モンゴル民謡に顫音(せんおん)とのばす音がどうして多いかがわかった。漢民族の民謡とずいぶん異なるモンゴル民謡は、オオカミ・トーテムを崇拝した匈奴(きょうど)から伝わってきたと、僕は推測してる。歴史書にもそういう記録がある。大昔、匈奴の単于(ぜんう)に二人の美しい娘がいて、次女のほうが望んでオオカミに嫁いで、たくさんの子どもをもうけたと、『魏書(ぎしょ)』の『匈奴伝』に書かれてるよ。原文は、”妹は……オオカミの妻となり、子をもうけた。しだいに増えていって国をつくった。その国の人々は歌をうたうと長くのばして、オオカミの遠吠えに似ている”というんだ。」



[下巻 147ページ]

 「オオカミ・トーテムを崇め敬う民族は、きっとオオカミのすべてを最大限に学び、まねるだろう。たとえば、狩りの技法、音声の伝達、作戦のテクニック、戦略戦術、戦闘的性格、集団的精神、組織の規律、忍耐、ボスの競争、強者が王になる、権威に服従する、家族と同族を愛する、草原を守る、空を仰ぎみて天(タンゴル)を敬う、などなど。だから、モンゴル人の音楽や歌は、必然的にオオカミの遠吠えから影響をうけたのだろう。あるいは意図的に学習したのではないかと、ぼくは考えている。草原のすべての動物、牛、羊、馬、犬、黄羊、タルバガン、キツネなどの鳴き声には、こんなに長くのばすものはない。オオカミの歌とモンゴルの民謡にしか、そういう音がない。気をつけて聞いてみて。似てるだろう」と、陳陣(チェンジェン)はいった。
 楊克(ヤンカー)はうなづいた。「確かに似てる。聞けば聞くほど似てるように感じる。きみがいわなければ、そこまで考えなかったよ。胡松華(フウソンファ)(訳注:北京出身の満州族の声楽家。1930年-)が歌ったモンゴルの『賛歌』は、最初の部分の起伏と顫音(せんおん)と、あの長くのばす歌い方が、まさにオオカミの遠吠えをまねたものだ。この二年間、たくさんのモンゴル民謡を聞いてきたけど、長い顫音(せんおん)、起伏、のばす音のないもはなかった。残念なことに、テープレコーダーをもってないからな。もしオオカミの遠吠えとモンゴル民謡を録音して比較すれば、きっと関係がわかると思うよ」


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歌詞 赤壁~大江东去~

赤壁~大江东去~
曲:岩代太郎词:李焯雄
唱:alan


看 大江东去 浪花淘尽千古英雄
笑 指点江山 是非成败俱灰飞烟灭
此地一为别 青山旧 雨初歇 豪情却 向谁说

机遇难赊 东风且暂借 流年似水足印难重叠
赤壁难辨 风流云散处 只剩下当时明月

枉海阔天空 故人不曾入梦 几度夕阳红 晚钟

分久必合 合久必分 暂寄天地之间敌友难分
多情应笑 我华发生 但为君故独沉吟至今
一时瑜亮 一壶酒 万古销沉
人道是 分久必合 合久必分
和你终须一别 秋月春风残雪

枉海阔天空 故人不曾入梦 几度夕阳红 晚钟

分久必合 合久必分 暂寄天地之间敌友难分
多情应笑 我华发生 但为君故独沉吟至今
一时瑜亮 一壶酒 万古销沉
人道是 分久必合 合久必分
和你终须一别

分久必合 合久必分 暂寄天地之间主客难分
多情应笑 我华发生 但为君故独沉吟至今
一时瑜亮 一壶酒 戎马一生
人道是 分久必合 合久必分
人生纵使一别 天涯共此明月

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「バカ」が最もひどい悪口である社会

朝鮮日報東京=鮮于鉦(ソンウ・ジョン)特派員
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
記事入力 : 2009/02/05 17:03:08

【コラム】「バカ」が最もひどい悪口である社会(上)(下)

 日本で韓国のヤクザ映画を見ると、「あんな風に翻訳していたら面白みがなくなるではないか」と思う。たった一言でも観客に緊張感を与えられるような、さまざまな罵倒のセリフをすべて「この野郎」や「バカヤロー」と翻訳しているためだ。耳を塞いで日本語の字幕だけ見ると、ソウルの小学校低学年の子どもたちのケンカよりもレベルが低いように思える。

 だが、これは翻訳の問題ではないようだ。裏社会の乱暴な言葉が中心となっているはずの日本のヤクザ映画を見ても罵り合いで交わされる言葉は「バカ」や「野郎」といったものより少し強い程度だ。時折聞こえてくる悪口も「間抜け」「うすのろ」「ろくでなし」「ブタ野郎」程度で生命を脅かしたり身体的特徴をからかうような言葉は寡聞にして耳にすることはない。

 日本でも「悪態」や「悪口」という単語がある。単語がある限り、それに相当する表現もあることは明らかなのだが日本人に尋ねてみても、「バカ」「野郎」程度の言葉しか聞けなかった。韓国語が分かる日本の知人の中には、「韓国で使われているようなひどい侮蔑語は日本にはない」と断言した人もいる。

 もちろん、人間が住んでいる以上、日本にも悪口がないわけではない。日本の伝統的な祭りの中に「悪態祭り」が存在していることがその証左だ。悪口を言い合い、相手を言い負かした方はその年豊作に恵まれる、という言い伝えがあることから考えれば昔からさまざまな悪口が飛び交ってきたことは間違いない。日本の悪口をまとめた本(『輝ける日本語の悪口』1997年刊)も出版されている。

 だが、これらの悪口を文化的な空間はもとより、日常の生活空間でもなかなか聞く機会がないというのが韓国と違うところだ。悪口を避ける文化が日常を変えてしまったのか悪口を口にしない日常が文化を変えてしまったのかは分からないが日本語の悪口はもはや百科事典に載っているだけの死語と化してしまった。

 在日韓国人や中国人、貧しい人や障害者などのマイノリティーを蔑む「差別語」もまた死語となりつつある。最近の日本の若者の前で「乞食」という言葉を口にすると「えっ!」と驚き、笑みを浮かべる。公的な場面で長い間タブーとされてきたため、「耳慣れない古い言葉」という印象を与えるようになったのだ。異民族を蔑視(べっし)する言葉も、一部の偏狭な人たちが酒を飲みながら口にする程度にすぎない。

 悪口に対する公的な規制もあったようだ。大昔の話ではあるが鎌倉時代(1185年‐1333年)に施行されていた武家法には「悪口罪」があった。悪口を言った者には鞭打ちの刑を科したのだ。さらに第2次大戦後には「人権」の観点から悪口に対する社会的な規制が強まった。2002年には「バカ」という単語が入っていたという理由で高校の教科書に掲載されていた有名な小説が削除されるという騒ぎも起こった。

 だが、何よりも重要なのはやはり、悪口に対する国民一般の感情ではないだろうか。日本では人を評価する際に「品が良い」「品が悪い」という言葉を頻繁に使う。品格の有無を表わす言葉で、自分が誰かに「品が悪い」と言われることほど恥辱的な瞬間はない。こうした評価が最も多くなされるのは、まさに悪口や差別語、卑猥(ひわい)な俗語などを使った瞬間だ。こうした言葉を使った途端、品格がないことを意味する「下品」という評価を下されることになるのだ。

 国民が話す言語の水準は、社会の品格を反映している。すべての国民が視聴できる地上波テレビで悪口を並べ立てれば「この国の社会はここまで堕落したのか」と評価されることだろう。
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