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朝鮮の文化主義

司馬 遼太郎/陳舜臣/金達寿 著 「歴史の交差路にて 日本・中国・朝鮮)」 (講談社文庫)
(59~59ページ) 朝鮮の文化主義

金: 李朝の朝鮮は、礼教に対しては本家以上ですね。それがいまの話を聞いて少しわかりかけた。 朝鮮は一種の純粋主義でしょう。 特に明から清になってからは、われこそは中華であるという意識になるでしょう。


司馬: 事実そう言っていいと思うな。


陳: 本来なら朝鮮民族は弁髪にする系統ですよ。 女真族も日本族もみな頭頂を剃って弁髪チョンマゲにしているのに、朝鮮族だけ頑として儒教的礼教を守って、頭を剃らなかったのですね。 




金: それだったからまずかった。 つらかった(笑)。



司馬: こんにちの食卓塩のように塩化ナトリウムとしての結晶体として、朝鮮半島で残る。 しかし本物の中国では、そんな結晶体は必要ないわけです。 海水のような形をとって十分不純物を許容している。 結晶までいくことはない。 中国の宋の時代の末期(12世紀)になると、朱子学なんか結晶主義みたいなのがちょっと出てきますけれども、本流とは言いきれない。 




金: それに対して、朝鮮は文化主義だな。


司馬: そうですね。



金: 中国に対しては特に文化主義をとっていまね。 李朝の支配階級は、年4度、使節を出して中国皇帝に礼をとっている。 中国から見ると、清朝にとっては、それだけ文明化してくれたというところだったかもしれない。





司馬: 文明化したほうが、つまり「華」であったほうが、清にとっても朝鮮にとっても相互に無害だったわけですね。


金: 

司馬: 


陳:
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