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長屋王の願文と鑑真和上、趙樸初の詩

180 パソコン ウィキペディア: 鑑真

鑑真(がんじん、鑒真鉴真Jiàn zhēn 688年(持統天皇2年) - 763年6月25日(天平宝字7年5月6日))は、奈良時代の帰化僧。 日本における律宗の開祖。俗姓は淳于。
唐の揚州江陽県の生まれ。

最初の渡海企図は743年夏のこと。
752年11月17日に遣唐使船が出航、ほどなくして暴風が襲い、清河の大使船は南方まで漂流したが、古麻呂の副使船は持ちこたえ、12月20日に薩摩坊津に無事到着し、実に10年の歳月を経て仏舎利を携えた鑑真は宿願の渡日を果たすことができた。


181 長屋王は仏教に篤く、四言四句の願文「山川異域 風月同天 寄諸仏子 共結来縁」をへりに刺繍した袈裟千枚をつくり、はるか海外の唐の高僧に寄進しています。

 はるばる中国から来日した有名な鑑真の伝記「唐大和上東征伝」に、鑑真が正しい戒律を伝えようと既に55歳と当時高齢で高い地位にいたのに渡日を決意するさい、この長屋王の袈裟とその文が大きな役割を果たしたと鑑真の言葉として書いています。

「私は聞いている。昔南岳の思禅師は遷化の後、生を倭国の王子に托して仏法を興隆し、衆生を済度されたということである。またかかることも聞いている。日本国の長屋王子は仏法を崇敬して、千の袈裟を造ってこの国の大徳衆僧に施された。その袈裟には四句が縫いとりされてあった。
-山川域を異にすれども、風月天を同じゅうす。これを仏子に寄せて、共に来縁を結ばん。- 
こういうことを思い併せると、まことに日本という国は仏法興隆に有縁の国である。云々。」

(訳文は井上靖の小説『天平の甍』から)


182 中国仏教会会長の趙樸初
题《绿杨》图赠日中友好
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